オレンジジュース

好きなものは好きって言いなよ

病室から見上げた秋の空


娘が産まれて半年たちました。

病室から見上げた秋の空を思い出した
こことは違う土地のまっさらな青空だった


振り返ればあっという間だけど、確実に短くはなかった時間の流れだナ。

生まれた時のひ弱なオギャーが今や耳がキーンてなるほどの音量で、
見えていなかった目も私を探して笑うし、
ぐらぐらだった首はあっという間に座ってもう寝返りができる。
おっぱいしか飲めなかったのに離乳食も食べられるようになった。


ひとつひとつ出来るようになり進んでいく娘の人生
あと半年もすれば歩けるようになってる。
私なんかよりどこへだっていける足を持ってる。
素晴らしいね。うらやましいよ。



娘が産まれて、仕事を辞めて、
今まで以上にたくさんのことを考えるようになって、頭がついていかない。
知らなかったこと、気付かなかったことが山のようにありすぎて、今までの人生何してきたんだって後悔してる。

その時はそんな知識いらないと思っていた。
だけど時間が進めばその時に向き合わなかった知識がめちゃめちゃ必要で、
あの時にしなかった努力が後悔にかわり、今の自分の首を絞めてる。
自分が自分を殺しにきてる。割りとまじで。

なんでもっと勉強してこなかったんだ、というよりは、
なんでもっと広い視野をもてる努力をしなかったんだ、と
なんでもっと知らないことに興味を持てなかったんだ、という感じだ。

30目前にして後悔の真っ只中だ。
とても生きずらい。


だけどきっと数年先に今これだけ生きずらくても考えて考えて考えて考えてきたことが役にたってほしくて生きてる。
まだ立てない足が一歩二歩と歩いた先に出会うものとちゃんと向き合っていけるようにしてあげなきゃいけない。
もっと複雑化多様化していく世の中で自分を無くさないように
どんなことがあっても生きるのをやめないでいてほしいから


この娘のためならなんでもする。
全部やってあげるんじゃない。
できるように教えてあげたいということ。
できるだけたくさんの選択肢を提示してあげたいということ。
過保護ではなく見守るということ。


そして私をそだててくれた母にまた感謝が募る。
悪阻のときに助けてくれて
出産のときもいてくれた

私が年をとるということは、親も年を重ねるってこと。
それがどんな意味なのか。
無敵だと思っていた“親”も、無敵じゃない。



生きずらい。
でも生きようと思ってる